生かされているというのは、英語を見れば良く解る

コラムエッセイ

日本語を英語にしてみると、真実がハッキリと解ることがあります。

日本語で慣れ親しんでしまっていると、真実が見えなくなってしまうことってあるんですよね。
「私は自分で生きています」と言うのと、「私は生かされています」というのとでは、人生の過ごし方は大きく異なってしまいます。

英語でそれが歴然とするんですから、オドロキです!

英語から分かるその真実の意味

日本語で、「私は生まれました」というと、まさに自分が自分の意思で生まれてきたような言い方ですよね。

しかし、これを英語で言うと、「I was born」となります。
これはよくよく注意しないと気が付きません。


画:nagさん

何に気が付かないのかと言うと今でこそほとんど英語を使う機会はなくなった私ですが、かなり長い間
英語に慣れ親しんできたわりには全く気が付かなかったのです。

中学校の英語の授業でも習うことなのですが、「I was born」のI は、自分、私という名詞ですよね。
was は、be動詞です。

そんなこと分かってるわい!

などと言う声が聞こえてきそうですが、ならば、born は何だろう?

「生まれる、だろうが!」

たしかにそのとおりなのですが、これがbear の過去分詞だとはこの「I was born」があまりにも
自然な言い方なので、気が付かないのではないかと思います

たとえそこに気が付いたとしてもこの「I was born」が受動態であることに気づいている人は、それほど多くはおられないと思います

生かされている!

英語の参考書などによれば、受動態とは、他の人や物から動作を受けるときの表現で「~される」のように訳されます。そして、受動態は「受け身」と言われることもあるので、少し注意しておいて下さい。英文の形はbe動詞+動詞の過去分詞となります、などと記されています。

もし、ここまで気付いている人がいたとします。

そのうえで、さらに「受け身」ということがどういうことか真剣に考えた人が何人いるだろうか?
つまり「I was born」は、私は生まれましたではなく、私は何かによって生み出された。

そう!

生かされた! そして現在も生かされている! ということに他ならないのです。

まことに、ことばは真実を語るものなのですね。

無理やり生きようとせず生かされて気楽に生(い)こう

私たち人間は、ついつい現実の生活の中で自力で頑張って生・き・よ・うとしてしまいます。
ほんのちょっと視点をずらして見るといいと思います。

生・き・よ・う

とするから大変なんだな、

生かされている

のならば、生かしてくれているものに寄りかかって行くのも有りだよな、と。

「生きる」ということをそういう視点に置いて見るとどれだけ気持ちが安らぐか計り知れません。

特に日本の文化は頑張って生きる、とか他人の力をかりずに自力で生き抜こう! とか自分の力を美化する傾向にあります。

要するに、いつの間にか自力で生まれたと思っています。
だから頑張れない人は見捨てられて行くんです。

自力で頑張る必要はない

自力で頑張る必要はないんです。
今日も生かされているのだから、張り切って前へ進んで行く、ただそれだけで好いんです。

生かされているのが最もよく理解できるのは「俺はすき好んで生まれてきたんじゃねえ!」とか言うのを耳にしたことがあると思いますが、まさにそれなんですね。

この世の人間は、誰一人として「生まれてやる!」と意識して、この世に誕生した者はおりませんから。

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