「たまの早帰り、うしろめたさを感じる定時前の帰宅」という感覚。
今では良き時代の遺物にしか過ぎないのかもしれないですね。
なぜなら、以前は会社や企業から完璧な体制で雇用されていた時代だった、とも言えるからです。
たまの早帰りとは
「たまの早帰り」とは、酒ばかり飲んで毎日帰宅が遅い私もたまに早く帰ることもある。
画:しらたさん
ということではありません。
なぜなら、私は下戸ですから。
私の会社は終業が5時半です。
終業と同時に会社を飛び出しても、わが家に到着するのは6時40分頃。
年に一度くらい、仕事の都合で6時前に帰宅できることがあります。
たまの早帰りとは、このことを言っているんです。
後ろめたさを持ちながら帰宅の途に就く
自分でもほとほといやな性分だと思いますね。
そんな「たまの早帰り」をするとき、少し後ろめたさを持ちながら帰宅の途に就く。
画:くりまんさん
団塊の世代という年代の影響もあるのかもしれません。
出先で仕事が3時に終わり、そのまま帰れば5時に帰宅できるとします。
そのまますぐには帰れないんです。
ちょっと時間をつぶして、4時すぎごろまでブラブラしてから会社に電話。
「いまから帰社しても中途半端なので直接帰ります」、と合法的に帰ることを自分と会社に言い聞かせるんです。
内勤と営業との違い?
この現象は、内勤をしているから起こるのだと思います。
私が営業、特にダイレクトセールスをしているときは、そんな心境にはならなかったからです。
午前中で計画以上に売れてしまえば、昼食を自宅でとり、夕方家から会社に電話して直帰、ということにしても何の後ろめたさもありませんでした。
やることはやっているとハッキリ認識できたからだと思います。
内勤の場合は人事評価と同様、やることはやっている、というレベルの境が自分では判断しにくいんですね。
画:Peterさん
自分が良くやっているという認識は、みる人によっては、充分とはいえない、という評価になります。
いつもそんな気持が頭のどこかにあり、勤務時間をまっとうして、初めてやることはきっちりやっている、という自覚を得ようとしているのかもしれませんね。
なんとせせこましい、と思うことなかれ。
これもサラリーマンの一面です。
まとめ
サラリーマンは、決して気楽な稼業ではありません。
気楽な稼業と言えた時代は、サラリーマンが安定したものであり、かつ安定を約束された時代でもあったのです。
しかし現代は、誰でも正社員になれるという時代ではありません。
逆に言うと、この「たまの早帰り、うしろめたさを感じる定時前の帰宅」という感覚は、今ではとても貴重な感覚のひとつと言ってもいいのではないでしょうか。
つまり、それだけ会社や企業から完璧な体制で雇用されていた、とも言えるからです。
画:ASAKURACさん
現在は、どのような企業や会社に所属していても、いわゆる完全雇用の体制からは程遠い状況です。
「たまの早帰り、うしろめたさを感じる定時前の帰宅」という感覚は今では良き時代の遺物にしか過ぎないのかもしれないですね。