通信簿と人事考課査定シートは似ているようで似ていません。
人間関係の絡みが強く出てしまうのは人事考課シートのほうだと思います。
のど自慢の評価もマシン評価と人の評価とではかなり違ってきます。
評価された者にはマシン評価でも微妙に影響があるのです。
成績表
本日娘は終業式で、通信簿をもらってきました。
私もサラリーマンの通信簿、人事考課査定シートを会社から持ち帰ってきました。
自己評価をする自分のシートと、自己評価された部下たちのシートです。
まがりなりにも管理職である以上、部下の評価もしなければならない立場にあるんです。
これらはいわゆる成績表です。
人が人を評価しているんですね。
娘の通信簿は、意外とあっさりしていました。
1学期、2学期、3学期の成績に、1学年を通しての評価が出ていました。
試験前、いつもあわてていた割には、まずまずの成績でした。
学校の通信簿は、当人にしてみれば進学が絡んでいるから大変なんでしょう。
しかし、長い人生からみれば通過点だからたいしたことはないと、大人になれば分かると思います。
大人と子供、それも先生と生徒、というはっきりした違いがあります。
さらにいまの評価は、ペーパーテストが中心になっています。
従って、評価する側に、感情を移入する余地は少ないと思われるからです。
ある意味では機械的な処理が可能なレベルの評価と言えないこともないのではないでしょうか。
人事考課表
それに比べ、人事考課査定は、被考課者の人生を、ほんの少しだけ左右する可能性が含まれています。
上司とうまくいかずに評価が悪かったり、上司の好き嫌いだけで評価が正当に行われなかったりするからです。
評価する方もされる方も、大人だけに、感情が微妙にはいり込んでくるんですね。
評価結果は、当然給与に影響します。
つまり、どうしても利害が絡んでくると言えるでしょう。
利害の絡んだところに感情が移入されると、評価者と被評価者の感情の隔たりはさらに増幅されます。
ましてや、営業以外の仕事で、結果を数字で表しづらい職場にいる人たちは、歴然です。
もうあの人の下では働きたくない、と。
それは、善い意味でも悪い意味でも人間は機械的に他人を評価できない、ということを皆が知っているからです。
他人を評価する難しさを、まさに体験中なんです。
後 述
人間は感情の動物である。
と言われるように、何事にも感情移入しやすい動物なんです。
今、カラオケで歌われる評価を機械で点数付けをして競う番組がいくつかあります。
見ていて確かに面白いのですが、たまにはのど自慢のように人が評価した番組の方が、なんかホッ……とする時があるんです。
この場合は、逆に今の評価違うんじゃないの!
えっ! 何であれが合格!
あれが合格で何でこの人の歌が鐘2つなんだよ!
という自分の評価と違うと何かスッキリしない時もあります。
その点、マシンで評価ならば仕方ないか、とも思えるが、評価される者は人間です。
つまり、マシン評価であっても微妙に評価された者には影響があるのです。
このような現象は今後様々な場面で展開される機会が多くなるのでしょうね。