「フラストレーション、むりやり抵抗せずに受け容れることである」その通りです!
フラストレーションを最小限に押さえる方法は、むりやり抵抗せずに受け入れることが一番いい対処法だと思います。
時には知らんぷりをする、というやり方も有りですね。
フラストレーションということばの意味
「フラストレーション」とは、日本語の辞書には、欲求不満と出ています。
「frustration」、英語の辞書では、最初の意味として挫折・失敗とあります。
挫折・失敗から派生して欲求不満になったのかもしれません。
心理学用語のようでもあるようですね。
フラストレーションの原因は?
フラストレーションの原因は様々なんでしょうね。
しかし、切っても切れない現象にストレスがあります。
細かいストレスが溜まり、フラストレーションに膨れあがり、爆発する。
何事も積もらせてはならないんでしょうね。
少しずつのことでも積もり積もれば山となる。
と、言われるように積もってもいいのは、努力や日々の平安でしょう。
ましてやストレスなどは積もらせてはならないと思いますよ。
ストレスを積もらせないためには、フラストレーションの原因の解消が必要となります。
様々な解消方法
ストレスを避けるために飲んでくだを巻き、身体を動かして発散する。
気分を切り替え、趣味などで発散する。
これらもある意味で、フラストレーションを膨らませずに生きようとする知恵なのだろうとは思います。
また、それらができないと危険でもあると思います。
少なくとも何らかの解消方法をとる必要があるのです。
蓄積させないこと
何の解消方法も講じないで、鬱積(うっせき)したフラストレーションを吐き出せないでいると、様々な形で爆発します。
外に爆発すればいざこざを起こしたり、極度な場合は、犯罪に及んだりすることもありますよね。
内に抱え込むと、身体の健康にも影響するでしょう。
度重なるフラストレーションを身体だけで吸収しようとすれば、心臓をアタックしたり、胃や肝臓に大きな影響を与えたりもするからです。
なにしろ、フラストレーションを溜めないこと。
これにつきますね。
それでは、そのためにはどうしたら良いのでしょう?
フラストレーションがなかったら
フラストレーションを溜めないようにするにはどうするかを、逆にフラストレーションのないような環境だったら、人間どうなるのだろうか、と考えてみましょう。
おそらく欲求もなくなり、感動も共感もしない無味乾燥な社会になってしまうのではないでしょうか。
フラストレーションは、ストレスと一緒で、まったく不要なものではないと思うんです。
あるていど必要であり、それをバネに新たな発見や発明があるのも否めないと思うからです。
しかし一番悪いのは、人間関係の中で生まれるフラストレーションだと思いますね。
他のことなら改善する余地があっても、人間関係のこじれは、それほど単純ではないからです。
ときには憎悪の念になったり、夫婦間であれば、具体的な離婚という形になったりもしますから。
他人はよく言います。
話し合えば、と。
でも、そんなレベルであれば離婚も紛争も起こらないでしょうね。
むりやり抵抗せずに受け容れることである
社会的なもの個人的なもの、様々なフラストレーションがあります。
解決策のひとつとして、これにあまり抵抗しないことですかね。
人間であれば、当然あるものだとして受け容れることかもしれません。
自分で、自分でと言って、真っ向から受け止めずに、何事も与えられたものとして淡々と受け容れることが肝要なのかもしれません。
まとめ
すべてのフラストレーションは、むりやり抵抗せずに受け容れることに尽きますね。
私たち人間が受ける様々な困難は、構えすぎることによってストレスになったり、フラストレーションになったりするわけです。
フラストレーションやストレスに対しては、「ああ、そうですか」と言う気構えで対処するのが、その重さを最小限にするとっておきの方法だと思います。
時には、知らんぷりしてスルーするのもひとつの対処法だと思います。