情けは人のためならず

コラムエッセイ

人に情けをかけるのは、決して他人のためにだけやっているわけではない、自分にも戻ってくる、というのが本来の意味だそうです。

私も、知らんぷりするよりも、かけた情けはいつか必ず自分に戻ってくるんだから、人に情けをかけようよ、という方が好きですね。

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他人のためだけではない

この諺(ことわざ)は、人に情けをかけるのは、決して他人のためにだけやっているわけではない、自分にも戻ってくる、というのが本来の意味だそうです。

情けという画像のイメージ
画:まよまよさん

でも一方では、自立などの妨げになり、情けをかけられた人のためにならない、という解釈をしている人も結構いますね。

しかしこの解釈は基本的には誤りのようです。

英語でもA kindness is never lost.(親切にするのは決して無駄にはならない)と言います。

まさに自分の為なのだ、ということです。

あなたが働くのは、誰のため?


「あなたが働くのは、誰のため?」
と問われれば、私は迷わず「家族のため」と答えます。

しかし「ほんとうか?  自分のためだろう」、と反論されるかもしれません。

なぜなら、私は家族のためと言って、サラリーマンを漫然とやってきたからです。

そして今後は自由業をして生計をたてようと考えているからです。

つまり、やりたいことをしようとしているからです。

でもよくよく考えてみると、好きなことをしたり、やりたいようにやって、あたかも自分のためだけに生きていると思えるような人でも、家族がいれば一部は家族のために費やしていることになります。

私たちは、自分も家族も互いにバランスをとりあいながら、助け合ったり、支えあったりしています。

あるときは徹底的に自分のためであったり、またあるときは、ほとんど家族のためであったりします。

人間が何か行動をおこすときは、占める割合はどんなに少なかろうと、本人のためということが含まれているのだろうと思います。

恋人のため、子供のため、家族のため、友人のため、いろいろ誰々のため、というのがあると思いますが、必ず自分のためを含んでいるはずです。

何か引っ掛かりがあれば取り除こうとします。
それは誰のためにやるわけでもなく、自分のためにやるわけですから。

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かけた情けは自分に返ってくる

私は、情けは人のためにならないからといって、知らんぷりするよりも、かけた情けはいつか必ず自分に返ってくる、だから人に情けをかけてやろうよ、という考えの方が人間くさくて好きですね。

従って現在の社会のように人間同士が情けを忘れてしまい、というよりも情けを知らない者同士になってしまいロボット化して行くのをとても心配しています。

自分が他人に情けをかけたように自分も他人から情けを返してもらう。

どちらが先か後かは分らぬがそれが人情というものなのではないでしょうか?

まとめ

結局、すべては我が身のためにやっているのかもしれません。
ならば、他人のためになることも含んでいるほうがいいに決まっていますよね。

あからさまに自分だけのためにやってしまうこともあるかもしれないし、逆にどう考えても他人のためにやっているとしか思えないようなこともまれにはあります。

しかし、これもあれもすべて結局、すべては我が身のためにやっているのかもしれない。
という振り出しに戻り、この繰り返しなのではないでしょうか。

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